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2014年02月04日

アオギリにたくして(日本)

福島県を取材していた雑誌記者の片桐千草(菅井玲)は、アオギリを植樹する中年の女性たちと出会う。
聞けば、広島で学校に通っていた頃、自分たちの先生だった田中節子さんが亡くなったのだという。
次第に節子に興味を持ち始め、広島へ向かう千草。
彼女が知る節子の人生とは……。
1945年8月6日。
3日後に結婚式を控えていた21才の節子(塩出純子)は、広島に投下された原爆により被爆。
麻酔薬もないままノコギリで片足を切断され、3日後には婚約者の戦死を知らされる。
自暴自棄になり、自殺することばかり考えていたある日、幹の真ん中が抉れて片側が焼け焦げたアオギリの小枝に生えた小さな芽を発見。
それを目にした節子は、“どんなことがあっても生きていこう”と決意。
原爆の後遺症と闘いながら、家庭科の教師として28年間の教員生活を過ごすが、2度と思い出したくない過去を語ることはなかった。
そんな節子が被爆体験を語り始めたのは、アメリカ軍が撮影した被爆直後の映像に、負傷した自分の姿を見つけたことがきっかけだった。
1980年代に起きた10フィート映画運動によって制作された原爆記録映画「にんげんをかえせ」に映し出された節子の姿は、世界中に衝撃を与えた。
この映画をきっかけに、節子(原日出子)は平和公園のアオギリの木の下で、広島を訪れる修学旅行生に被爆体験を語り始める。
世界のすべての人たちが平和で幸せに安心して暮らせるようにと願いながら、アメリカ、ヨーロッパ、ソ連(当時)、マレーシア、シンガポール、ベラウ、フィリピン、ベトナム、アウシュビッツ、中国、韓国、パナマを訪れる。
被爆体験について証言し、自分の分身でもある被爆したアオギリの種や苗に、平和への願いやいのちを大切にする心を託して、全国の学校、そして世界に広める活動を進めて行くのだった。

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